どうも、今回の公演で、茂上 庸(息子)役をやらせていただきましたイソヤマです。

とりあえず・・・なんとか駆け抜けました。

二ヶ月という稽古期間ですが、振り返るとかなり濃密な時間であったように感じます。

さて、何を書くべきなのか迷うところですが、庸と向き合って感じていたことをいくつか書こうかなと思います。

庸を演じる辛さ

まぁ、第一声としてはキツかったですね笑。

役柄的には、観ていただいた通り、物語が始まる前から負の部分を抱えていて、最後はそれが解放されるという流れになっているわけなんですが(犬を殺してしまったことはちょっと置いておくとして)、ということは毎度の公演で、始まる前から舞台裏で、自分を負の状態に追い込んだ上で、さらに舞台上で負を重ねていく、そしてそれをあの包丁のシーンで解き放つという行程を繰り返すというわけでして、これを毎回役として新鮮に辿って行くことはかなり難解なものでした。

おそらく役を演じる上での困難さは、他に二つあって、一つは庸が感じている心の闇の部分(親に対する思い)がある意味でまだ自分自身の中にもあって、なおかつそれがまだ解決していないということが大きく影響したような気がします。

役作りをしていると、あまりにも役と自分が近いところにあるとうまく感情をイメージしにくく(役と自分自身との境界線が曖昧になる感じ)、逆に役と自分が遠い方がその役をイメージしやすいという瞬間があって、まさに今回はそのパターンであったという感じです。

また、そういうのもあってか、実生活の方にまで、庸の憂の部分が移ってきてしまいそうで、心のバランスを取るのが難しかったということもありました。(それと、心のバランスが崩れると身体のバランスも崩しやすくなるので風邪をひく等の心配も実はありました。)

もう一つは、お食事のシーンの片付けを全員でしなくてはならなかったことです。もうこれはどうしようもなかったことなんですが、晩餐会のシーンの最後で、庸が発狂をして出てった後、物語としては庸は子犬を殺して、「壊す」計画を実行に移していくわけで、負の感情が積みに積み上がっている状況なんですが、キャストとしての動きでは一回晩餐会の片付けに入るのでどうしてもその気持ちが途切れてしまいそうになります。そしてその片付けの後に、再び気持ちを思い起こし、例の包丁のシーンという感じでした。もちろん色んな技術等を使い気持ちを高めようと集中をしているのですが、お客様によっては、もしかたらあまり感情が高ぶっているようには見えなかったかもしれません。そういう意味で、すごく毎回の心のバランス・状況を作って行く難しさを感じました。

パピへの懺悔

演じるのが難しかったシーンとしては他には、犬に謝るシーンがなかなか難しかったなと思います。庸としては、救われたという感覚を持った後に、罪悪感に包まれるわけで、しっかりと「なんで殺してしまったのか」の気持ちを持つことができるかに悩まされた部分はありました。

また、一回どこかの回で、涙が溢れてきて仕方がないような感覚を持つことができたんですが、その状態を次も目指してしまって逆にうまくいかないということも何度かあった気がします。

やっぱり過去の良かった瞬間にしがみつこうとしてしまうんですよね。その恐怖から抜け出す難しさも感じました…。

みえた光

しかし、反省ばかりではなく、得たものも色々あって、

今回の稽古では、本当に細かくシーンの中での内面の移り変わりを作っていったので、夕日の海岸線のシーンは、個人的にはかなり自信を持って演じられた部分であったと感じています。なぜここでこのセリフをいうのかということに対する正当化がきっちりできていたので、「役としてそこにいる」ことができたように思います。

特に今回のIWANTを取り入れた稽古は役の内面を丁寧に作って行くことができるので、すごくおもしろい稽古だったと感じました。

 

庸の行くすえ

皆さんも気になっている人が思うのですが、物語の後、庸はどういう人生を歩んで行くのかということについて、役を演じた側から考察したことを書いていこうと思います。

「庸は一橋に行くのか」というということについては、役作りした側の個人的な感覚だと「行かない」のではないかなと考えています。そもそもなんで一橋に行くのかということについては劇中の父のセリフの通りで「良い会社に入って」両親に育ててくれた恩を返すという考えがあってのもの(もっとシンプルにいうと、親に褒めてもらいたいからということ)という役作りだったので、もうすでに一橋に行く理由がないというのが一つの要因です。もう一つは、「犬を殺したこと」ですね。動物愛護法を元に考えると罰金または懲役が科されるわけで、庸の意思としては「償う」ということと「もう2度とこんなことはしない」という覚悟をしてパピの墓を去っているので、懲役を望むと考えています。そうなるとそもそもこのまま一橋を受験するかも怪しいのではないでしょうか。個人としては彼は動物専門の医師などの仕事を目指すのではないかなと感じます。

なんで犬を殺したか

劇中では、『真夜中に犬に起こった奇妙な事件』のようなことが起きます。

犬好きの方々には辛い部分であったと思います。なぜ犬がそんな目に合わなくてはならないのかと思ったことでしょう。

このことも役作りした時点で考えたのですが、最初に夕日の照らされる海岸で、犬に会った時、ある種の「同類感」を庸は持っていると考えています。冒頭のシーンで餌をあげることになるわけですがそこで、私としては、「過去の何も知らずに幸せと感じていた自分の姿」を重ねていて、故の犬に対しての辛辣なセリフを吐いたと解釈をしています。その上で、悩みもなく自由に生きることができている犬に対して「憧れ」と「自分は犬よりも弱者(もっと言えば無価値なモノ)である」というマインドになっていると考えていました。

そのため、晩餐会の後で、タマミと別れた後に、あのものすごい打ち負かされた気分の中で子犬に再開したことで、一種の「同化」している感覚(犬=自分)があって自傷的に犬を刺したという部分もあったかなと考えます。と同時に「なんで犬の方が僕よりも自由に生きているんだ」というイラつきもやっぱりあって父・母・そして犬という強者に対する反抗があって、いろいろな気持ちが混ざり合って錯乱していたからの犯行ではあったと考えます。

舞台での細かいところ

最後は、映画で言えばNGシーン集的なお話をしておこうかなと思います。

晩餐会での食事

晩餐会での食事はキャストが全員出ている数少ないシーンであるわけですが、それぞれのグループで話が進行していきます。その中で、お客様が聞こえる部分は断片的にという形だったと思います。聞こえていない部分の話はフリートークの部分であるので、稽古のときは母とサトルさんのお話が時々下ネタのときがあったりもしました笑。

庸くんは無口なので、ほとんどしゃべりません。では何をしているかというと、食べてます。ひたすら食べるか飲むか。ちなみに食べる刺身の順番も実は決めていて、ハマチ、カツオ(生姜つき)、マグロ、アジ、唐揚げという感じです。そう!実はタマミ&父と食べて魚がシンクロしているんですね。そしてわさびのシーンは、ヒカリがわさびをつけているのを見て、「わさびって美味しいのかな?」と食べてみてしまったという感じです。後、オレンジジュースは飲みすぎてビンの容量以上に飲んでるかもしれませんね…

二色パン

劇中の序盤で庸のカバンから出てくる二色パン、そもそもなんであのパンなんでしょうかね。

しかも半分にしているという・・・役作り的にはやっぱり好物ということにしています。あれです。いつも勉強しているので糖分が欲しくなるのです多分。だからこそのチョコとクリームで一度で2度美味しい二色パンなのではないでしょうか?

でも庸くんにそのこと聞いたら「あの雑な味が好き」だとかいいそうですけどね笑。

後、庸くんなら自宅にすごいストックしてありそうな気がします。

 

もうしばらくここまで難しい役をもらうことはないかもしれないというぐらい色々と抱えているものがある役でしたが、そのぶん役者としても多くの挑戦があって、学ぶことがあったと感じます。

庸の奮闘する姿を通して、「生きる」ことについて何か考えるきっかけになっていたら幸いです。

ご観劇いただきありがとうございました。